2024/12/05 06:25 |
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2013/03/04 09:33 |
P610 再考 その3 |
みなさんこんにちは。
サムライジャパンでございます。
さて前回のブログでは、P610前期型を手に入れ、その格の違いを目の当たりにしたというお話をしました。
しかし私がP610の前期型を手に入れた当時は既に後期型が販売されていた頃で、再生周波数レンジを拡大し、対入力も向上させるなど、将来訪れるデジタル時代へ対応させるために大幅な改良がされていました。
当時オーディオをはじめてまだ2年にもなっていない頃でしたから、古いやつより大幅に改良された新型のほうが絶対良いに決まっていると、聴きもしないで信じていたくらいなのです。
それだけに手に入れたP610が前期型と知ったとき、結構落ち込んだのを思い出します。
そんな余談はさておき、そろそろP610の前期型と後期型についてお話をしていきたいと思います。
手に入れた当初こそ落ち込んだりもしたのですけど、その後何度も聞き比べをしましたが、JBLのD130ほどの大差はありませんでしたが、やはり後期型に比べても格の違いを見せつけられたのです。
音の違いをどのように感じたのかを言葉で表現するのは少し難しいので、多少抽象的なお話をしていきます。
たとえば強い剣客がいたとしましょう。
P610の前期型を表現すれば、体が小さく力も特別強いわけでもなく、どこか線が細い面を見せるものの、上へ下へ、右へ左へと縦横無尽に飛び回る牛和歌丸みたいなイメージです。
一方P610後期型は、同じ強さでも大きな長刀をぶんぶん振り回せる、さしずめ弁慶といったイメージでしょうか。
もちろんどちらもP610の音に変わりはないのですが、でも前期型と後期型の音の差は、意外と小さいものではなかったのです。
前期型の場合人の声の再生などの表現力や質感は非常に高く、古い時代に録音されたジャズなどの音源の質感表現も非常に高いものです。
それが同じP610の改良版である後期型で聴くと、確かにどことなく力強さは感じるものの緻密さや繊細な感じがなりを潜め、人というよりアンドロイド的な声質に感じ一面もあり、古めの録音ソースなども、どこか空気感などの繊細な表現がなりを潜めてしまい、それが楽器などの音の質感表現にも影響している感じです。
後期型の場合、低域の量感や力強さは前期型を凌駕していますけど、前期型が持っていた低域の音階を感じるような空気の響きも感じにくい面があります。
そういっても、後期型のポテンシャル自体は非常に高いものがありますので、使いこなしの面で多少その差も縮まるかもしれません。
ところでどうして同じP610でありながら、後期型は前期型が持っていた良さをスポイルしてまで、このようなな変化を遂げてしまったのでしょうか。
当時の時代背景を思い出すと、ちょうどデジタル時代の幕開けで、オーディオ装置も大きな転換期に差し掛かった頃です。
実際私がオーディをはじめた頃の憧れは、理由は知らないけどスピーカーといえばDIATONEというのは聞いていましたから、こんなのを買って自信満々に鳴らすことを目標にしていたものです。
新しいもの好きな心を刺激する新素材見本市のような最新素材で構成されたシステム。
そしてカタログのキャッチコピーに書かれたデジタル対応という真新しい言葉。
もうビンビンくるようなシステムのはずです。
世の中がそのような風潮でしたから、当然P610にもテコ入れが行われたのでしょう。
どのように音決めをしたり、開発状況がどうだったのかはわかりませんけど、前期型の場合は、人の声を明瞭かつ正確に表現する事が重要だったのでしょうけど、後期型はデジタル時代に対応というコンセプトもあったようですから、基本的に当時の音楽ソースを基準に音作りをしたのかもしれません。
実際その頃のアイドルもののレコードを聴くと、前期型はあれやこれやとミキサーで音をいじり倒している様子が聞き取れるのですが、後期型は意外とその辺はそれほど気になり難く、それなりに楽しめてしまうものです。
もしかしたら音楽ソースを基準に音決めなども行われたのかもしれません。
もちろんオーディオ装置の目的は音楽を聴く事ですから、音楽ソースを聴いて音の良し悪しを決めることがほとんどです。
皆さんもここ一発の愛聴盤を持っていて、それで音の良し悪しを判断されていると思います。
しかし、前のブログでも書いたように、ALTECの音の良さの秘密に人の声の再生の正確さがあるのではないかという話をしたように、P610に関しても同じなのかもしれません。
たとえばP610を鳴らすまで私が入れ込んで聴いていたJBLのD130ですが、音楽を聴いているときはそれなりに魅力的に音楽を楽しめましたが、いざ人の声を聴いてみると、パァッとした印象の声に聞こえます。
原音を忠実に再現するというより、独自の音色と印象的な雰囲気を意図的に作り出しているようです。
これはおそらく音楽を再生させて、それで音作りをされた結果なのかもしれません。
そのためジャズ向きとかクラッシク向きとか、このようなジャンルの傾向が偏りやすいスピーカーが生まれてきたのかもしれませんね。
そのような意味で考えてみるとP610の後期型も、人の声を中心としたものではなく、音楽を再生させて音作りをされたのではないかと憶測も生まれてきます。
P610の前期型が生まれた頃は、ちょうどNHKのモニターとして2S-208や2S305なども生まれた頃と同時期ですから、その辺りに音の秘密もありそうですね。
オーディオをはじめた当時、これらのモニターシステムは、値段は高くてデザインは古臭く、カタログデーターの周波数帯域など見るも無残なスペックで、何でこんなもの売っているのかが不思議に思えたものでしたけど、実際その頃に発売されたP610の前期型の音を聞いて、実際にそのすごさを実感してみて、カタログデーターも新素材も何の意味も成さないものでしかなく、ましてや新しいからといって必ず進化してばかりいるわけではないのは、このP610を聴いてみて教えられたようなものです。
もちろんP610の後期型が悪いわけではなく、前期型に比べれば音楽ソースによる影響差が少ない分、音楽ジャンルへの対応幅も広くなるので、よりオールマイティーな一面もあります。
それより何より、新素材のへんてこなフルレンジなどよりはるかに自然な音が楽しめるし、近年流行の、コンパクトな少容量エンクロージャーでもワイドレンジ再生が可能な、低能率ユニットなんかに比べれば遥かに生き生きとした音楽も聴けますので、前期型と多少のキャラクターの違いがあっても、後期型も十分魅力的なユニットに違いがありません。
しかし前期型も同様ですが、後期型も生産終了からかなり年月が経過したものも多く、既にエッジが完全にやられてしまったユニットも数多くあります。
DIATONEの最終生産版は、そのあたりも改良されていましたけど、これも歴代のP610キャラクターでありながら、これもわずかに音の違いがありました。
と話しているときりがないので今回はここまで。
また次回楽しいお話をしたいと思います。
サムライジャパンでございます。
さて前回のブログでは、P610前期型を手に入れ、その格の違いを目の当たりにしたというお話をしました。
しかし私がP610の前期型を手に入れた当時は既に後期型が販売されていた頃で、再生周波数レンジを拡大し、対入力も向上させるなど、将来訪れるデジタル時代へ対応させるために大幅な改良がされていました。
当時オーディオをはじめてまだ2年にもなっていない頃でしたから、古いやつより大幅に改良された新型のほうが絶対良いに決まっていると、聴きもしないで信じていたくらいなのです。
それだけに手に入れたP610が前期型と知ったとき、結構落ち込んだのを思い出します。
そんな余談はさておき、そろそろP610の前期型と後期型についてお話をしていきたいと思います。
手に入れた当初こそ落ち込んだりもしたのですけど、その後何度も聞き比べをしましたが、JBLのD130ほどの大差はありませんでしたが、やはり後期型に比べても格の違いを見せつけられたのです。
音の違いをどのように感じたのかを言葉で表現するのは少し難しいので、多少抽象的なお話をしていきます。
たとえば強い剣客がいたとしましょう。
P610の前期型を表現すれば、体が小さく力も特別強いわけでもなく、どこか線が細い面を見せるものの、上へ下へ、右へ左へと縦横無尽に飛び回る牛和歌丸みたいなイメージです。
一方P610後期型は、同じ強さでも大きな長刀をぶんぶん振り回せる、さしずめ弁慶といったイメージでしょうか。
もちろんどちらもP610の音に変わりはないのですが、でも前期型と後期型の音の差は、意外と小さいものではなかったのです。
前期型の場合人の声の再生などの表現力や質感は非常に高く、古い時代に録音されたジャズなどの音源の質感表現も非常に高いものです。
それが同じP610の改良版である後期型で聴くと、確かにどことなく力強さは感じるものの緻密さや繊細な感じがなりを潜め、人というよりアンドロイド的な声質に感じ一面もあり、古めの録音ソースなども、どこか空気感などの繊細な表現がなりを潜めてしまい、それが楽器などの音の質感表現にも影響している感じです。
後期型の場合、低域の量感や力強さは前期型を凌駕していますけど、前期型が持っていた低域の音階を感じるような空気の響きも感じにくい面があります。
そういっても、後期型のポテンシャル自体は非常に高いものがありますので、使いこなしの面で多少その差も縮まるかもしれません。
ところでどうして同じP610でありながら、後期型は前期型が持っていた良さをスポイルしてまで、このようなな変化を遂げてしまったのでしょうか。
当時の時代背景を思い出すと、ちょうどデジタル時代の幕開けで、オーディオ装置も大きな転換期に差し掛かった頃です。
実際私がオーディをはじめた頃の憧れは、理由は知らないけどスピーカーといえばDIATONEというのは聞いていましたから、こんなのを買って自信満々に鳴らすことを目標にしていたものです。
新しいもの好きな心を刺激する新素材見本市のような最新素材で構成されたシステム。
そしてカタログのキャッチコピーに書かれたデジタル対応という真新しい言葉。
もうビンビンくるようなシステムのはずです。
世の中がそのような風潮でしたから、当然P610にもテコ入れが行われたのでしょう。
どのように音決めをしたり、開発状況がどうだったのかはわかりませんけど、前期型の場合は、人の声を明瞭かつ正確に表現する事が重要だったのでしょうけど、後期型はデジタル時代に対応というコンセプトもあったようですから、基本的に当時の音楽ソースを基準に音作りをしたのかもしれません。
実際その頃のアイドルもののレコードを聴くと、前期型はあれやこれやとミキサーで音をいじり倒している様子が聞き取れるのですが、後期型は意外とその辺はそれほど気になり難く、それなりに楽しめてしまうものです。
もしかしたら音楽ソースを基準に音決めなども行われたのかもしれません。
もちろんオーディオ装置の目的は音楽を聴く事ですから、音楽ソースを聴いて音の良し悪しを決めることがほとんどです。
皆さんもここ一発の愛聴盤を持っていて、それで音の良し悪しを判断されていると思います。
しかし、前のブログでも書いたように、ALTECの音の良さの秘密に人の声の再生の正確さがあるのではないかという話をしたように、P610に関しても同じなのかもしれません。
たとえばP610を鳴らすまで私が入れ込んで聴いていたJBLのD130ですが、音楽を聴いているときはそれなりに魅力的に音楽を楽しめましたが、いざ人の声を聴いてみると、パァッとした印象の声に聞こえます。
原音を忠実に再現するというより、独自の音色と印象的な雰囲気を意図的に作り出しているようです。
これはおそらく音楽を再生させて、それで音作りをされた結果なのかもしれません。
そのためジャズ向きとかクラッシク向きとか、このようなジャンルの傾向が偏りやすいスピーカーが生まれてきたのかもしれませんね。
そのような意味で考えてみるとP610の後期型も、人の声を中心としたものではなく、音楽を再生させて音作りをされたのではないかと憶測も生まれてきます。
P610の前期型が生まれた頃は、ちょうどNHKのモニターとして2S-208や2S305なども生まれた頃と同時期ですから、その辺りに音の秘密もありそうですね。
オーディオをはじめた当時、これらのモニターシステムは、値段は高くてデザインは古臭く、カタログデーターの周波数帯域など見るも無残なスペックで、何でこんなもの売っているのかが不思議に思えたものでしたけど、実際その頃に発売されたP610の前期型の音を聞いて、実際にそのすごさを実感してみて、カタログデーターも新素材も何の意味も成さないものでしかなく、ましてや新しいからといって必ず進化してばかりいるわけではないのは、このP610を聴いてみて教えられたようなものです。
もちろんP610の後期型が悪いわけではなく、前期型に比べれば音楽ソースによる影響差が少ない分、音楽ジャンルへの対応幅も広くなるので、よりオールマイティーな一面もあります。
それより何より、新素材のへんてこなフルレンジなどよりはるかに自然な音が楽しめるし、近年流行の、コンパクトな少容量エンクロージャーでもワイドレンジ再生が可能な、低能率ユニットなんかに比べれば遥かに生き生きとした音楽も聴けますので、前期型と多少のキャラクターの違いがあっても、後期型も十分魅力的なユニットに違いがありません。
しかし前期型も同様ですが、後期型も生産終了からかなり年月が経過したものも多く、既にエッジが完全にやられてしまったユニットも数多くあります。
DIATONEの最終生産版は、そのあたりも改良されていましたけど、これも歴代のP610キャラクターでありながら、これもわずかに音の違いがありました。
と話しているときりがないので今回はここまで。
また次回楽しいお話をしたいと思います。
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